16. 稲作について
16.2 新嘗祭(にいなめさい)と白山(しらやま)信仰

私たちの米文化は、 それは稲作を始めてからですので、当然弥生時代以降からになります。縄文時代では、なかった文化です。毎年年末になると、新聞屋さんが「高島暦」を持ってみえます。当然、書店にも色々な種類の「高島暦」が並んでい […]

続きを読む
16. 稲作について
16.1 稲作源語

稲作とは米の栽培になりますが、それは日本では弥生時代に始まりました。この時代経過については、縄文時代から弥生時代の項目をご確認ください。ここでは米の言語の由来について述べたいと思います。前にも述べたように、日本の文字・漢 […]

続きを読む
内容
16. 稲作について

稲作について

続きを読む
内容
15. アイヌ語について

アイヌ人については、縄文時代・弥生時代の所で蝦夷人(えみしじん=えぞじん)として述べています。 又、奈良・平安時代以降の蝦夷人の歴史については、今回の範疇としていませんので割愛いたします。ただし、アイヌ語については、非常 […]

続きを読む
14. 弥生時代から大和朝廷まで
14.8 私の弥生時代の考察

縄文時代から弥生時代の推移について、記紀と三郡誌で述べてきましたが、共通している部分とそうでない部分があります。共通している部分は、大和地方には、元々 豪族 ナガスネヒコが住んでいた。その豪族が、神武天皇(日向族)に敗れ […]

続きを読む
14. 弥生時代から大和朝廷まで
14.7 こけし、ねぶた祭りの由来

荒吐族の信仰神は、アラハバキカムイ=アラハバキ神 と言いました。荒吐族は、各家々でアラハバキ神をまつっていました。本当は、石塔で祀る神霊であったが、この地方には、マタギという狩猟採集を生計にする人がいて、どこの家でも祀る […]

続きを読む
14. 弥生時代から大和朝廷まで
14.6 大和朝廷 旧・新(三郡誌から見た弥生時代末期)

筑州の日向族が大和に君臨するようになり これが、大和朝廷になっていった。  蘇我蝦夷・入鹿一族は、645年 「乙巳の変」で殺害されたとあるが、実は 殺害されず、日本海側をつたって東北に生き逃れたのではないか?それから、大 […]

続きを読む
14. 弥生時代から大和朝廷まで
14.5 邪馬台国台頭・卑弥呼出現(三郡誌からみた弥生時代中期)

2世紀後半には、九州北部辺りに 吉備の豪族「邪馬台国」吉備から攻めてきた。筑紫国の原住民 猿田一族は、一端は邪馬台国に滅びる。邪馬台国は、昔は陽茂台(ヤンマオタイ)と称していた。邪馬台国には、女祈祷師 卑弥呼がいて、その […]

続きを読む
14. 弥生時代から大和朝廷まで
14.4 三郡誌から見た場合の弥生時代前半

BC670頃 筑紫には、北は猿田族、南は熊襲族がいた。今の宮崎県日向辺りに南方から渡ってきた部族がいた。この民族は、技術・文化が優れていた。麻や絹を使用したり、薬の活用、稲作技術も持っていた。これが弥生時代の始まりで、九 […]

続きを読む
14. 弥生時代から大和朝廷まで
14.3 記紀年表

以下が、記紀からわかる初代神武天皇から41代持統天皇までの歴代天皇年表です。

続きを読む