20.2 万葉集
万葉集に収められている作品は、いつできたものかははっきりしていませんが、
凡そ450年間ぐらいの期間の物が集められ、纏められていると思われます。
天皇から庶民まで各階層の人が読んだ歌を集められたものです。
初期の作品は、文字として読まれることを意図してつくらたものでなく、
色々な場面で、口で唱えられ、人々の耳で聞き、時には唱和し、
歌い継がれた物でした。
詩人は人々の心情を代表して謡い、人々は詩人の口をついて出てくる歌謡を、
詩人個人のものとしてでなく、集団のものものとして受けとめ唱和し、
謡い継いだ。それを文字に表したのが、初期の作品でした。
629年以降 ~ 4,516番目の歌 759年までの約130年間と言われています。
作者は一人で編集したのでなく、日本全国から歌を集め、何人かが編集に加わり
複雑な過程を経て、最後に纏めたのが大伴家持と言われています。
万世(万代=万葉)までも伝わるようにと祝賀の意味を込めて命名されたと言われ
ています。
内容は、大きく4期に分かれています。
一期は、629~672年で 素朴 清新な作風の物
二期は、672~710年 柿本人麻呂のような宮廷歌人など
三期は、710~733年 山部赤人、山上憶良、大伴旅人などの有名詩人
四期は、733~759年 優雅で技巧的な歌が多くなる
この中で最大の歌人は、柿本人麻呂でした。
しかし、この万葉集は江戸時代までほぼ忘れ去られ、約900年眠っていたと
言われています。
江戸時代の国学者 契沖が「万代匠記」という万葉集の研究書を書き、
明治時代になり 正岡子規が「歌よみに与ふる書」で万葉集を 高く評価し、
今に伝わっています。
この短歌の中では、漢字やひらがなで構成されますが、漢字では1種類の
読み方でなく 2種類の読み方で、字数を合わせるように読まれます。
例えば、先ほどの「虫の音」の場合、音を「ね」と読みますが、
場合によっては 「おと」と読む場合もあるという事です。
例えば、花 と書いて、「か」と読む場合と、「はな」と読む場合がある
ことです。
日本の漢字には2種類以上の読み方があるのがほとんど。
だから 外国人からは 日本語はむつかしいと言われる原因の一つです。
日本の今の元号「令和」は、万葉集の中の「梅花の歌」から採用されました。
山上憶良が次のように歌っています。
神代より 言い伝えて来らく そらみつ 大和の国は
皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国 言霊(ことだま)の
幸はふ国と 語り継ぎ 言い継がひけり
意味は、日本の言葉は遠い過去から言霊の国であるという意味になります。
日本で紙が製造されるようになったのが、5世紀ぐらいです。
ということは、5世紀ぐらいには、すでに 日本列島には、言葉は当然ですが、
文字があって、何らかの紙にしたためてあり、その記録を基に各地から
取り寄せて作られたという事になります。
もしそのような古い歌集・書き物があったら、古事記が一番古い書き物に
ならなかったという事です。ここにも 古い謎があるようです。