雑学(13)「平等と自由」について

私の大人の自由研究、
「忘れかけている素晴らしい日本について」の中の
 「11.ホモサピエンスの歴史」で報告している
人類の歩んできた歴史を思い出してください。

人類は、紆余曲折しながら、進化してホモサピエンスになってきました。
狩猟生活から採取生活、そして、穀物栽培生活へと。
それと並行し、火を発見し使い始め、言葉を発見し使い始め、
文字を発見し使い始めた事を、思い出してください。
それを基に、平等・自由について述べたいと思います。

生物学的に言うと、人間は「造られた物」ではない。
人間は、長い年月によって、進化してきた動物です。
そして、人間は、一人一人間違っても「平等に」なるようには
進化しなかった。
キリスト教は、誰もが神によって造られた魂を持っており、
ありとあらゆる魂は神の前では平等であるというが、
本当にそうでしょうか?

進化は平等ではなく、誰もが多少異なる遺伝子コードを持っており、
誕生の瞬間から、それぞれ異なる環境で育っていく。
生まれてくる赤ちゃんは、環境・父母など選択できません。
その結果、異なる性格・特性が生まれ、異なった形で成長していく。
それを平等とは言えないのではないでしょうか?

又、人間は、生物学的に造られるではなく、行き当たりばったりの
進化の過程で、なんの目的もなく生まれてきたにすぎない。
又、生物学的には、何の権利などもない。
あるのは、それぞれの器官・能力や特徴があるだけである。
鳥は、翼があるから飛べるのである。
飛ぶ権利はない。
しかし、たえず突然変異を起こし、ダチョウのように飛ぶ能力が
なるなく場合もある。
変わりやすい特徴ということになる。

生物学的に自由などというものはない。
平等や権利と同じように、自由は人間の創造の中にだけしかないものである。

生物学的に幸福というものもない。
幸福の明確な定義や、幸福の客観的に計測する方法もない。

幸福も人間の創造の中にだけしかないものである。
権利も自由も幸福も、人間の創造の中だけにしか存在しない。

以上のように私は思っています。

しかし、そういった人類の中で私は今生活している
自分がいます。