雑学(17)知的誠実性(その1)


自分自らを過信しすぎず、又 先入観にとらわれず、
物事に取り組んだり、発言するよう、
「知的誠実性」を守っていくことが大事である。

では、「知的誠実性」とは、どうゆうものなのか?
人が、何かを訴える、表現していく場合、
自分を信じる強さ、時には前向きな考え方を持つように
考えないと出来ない事もあります。
でも、その「自信」や「前向きな考え方」を、自分に都合よく、
解釈してはいけない。
自分の言っていることに「不都合な真実・意見」などから
避けることにより、無理に自信を持とうとしたり、
安易に物事をみて、最終的に嘘をつくようなことをしてはいけない。

殆んどの場合、最初は意図的に嘘をつこうとしているわけではない。
誰もが、気づかぬうちにこうした状況に陥ってしまうことが多い。
しかし、誰にでも認めたくない「不都合な事実」はある。
しかし、事実がわかった時点で、すぐに訂正して
「実は、こうこうでした」と、間違いを認めて、本当の事を言う。

これが、「知的誠実性」である。
誠実にも、色々な種類があります。
他人の信頼を裏切らない「誠実さ」、
その為に、嘘をつくこともある。

又、理由がどうであれ言った事を否定しない、
人に対するというよりも発言に対する「誠実さ」もある。
しかし、発言に対する「誠実さ」と言っても2種類ある。
ひとつは、自分が言った以上、それが間違っていても
否定しない発言に対する「誠実さ」。
もう一つは、自分が言ったことが間違っていることがわかった時点で、
すぐに修正するという事実に対する「誠実さ」もある。

私は後者でありたい。
しかし、日本人にはそういった意味で事実に対する「誠実さ」を
大事にしない人が少なくないのではないだろうか?
だから、論理的に矛盾した事を言っても訂正しない。
今の日本の政治家に多いように思います。

「自分はぶれない、ぶれていない。」と主張することを売りにして、
過去の矛盾した発言に対して、苦しい弁解をする。
間違っていることがわかれば、すぐにその発言を訂正し、
反省し、出直してもらいたい。
その時は、本人にとっては屈辱的なものかもしれませんが、
人は、世間は、それをよく見ています。
それが、のちのち良い効果が出てくると思います。
それは、その人への信頼です。
一つ一つの発言が、どのような影響を及ぼすか?を
よく配慮しながら発言してほしい。
①迅速性
②透明性
③共感持てる説明
④一貫性

誰にでも、間違いや思い違いはあります。
自分が何かをどれほど大切に、慎重に行い発言したとしても
新しいデーターでチェックし、今の状況にあてはめてみると
合わないこともあります。
多くの人は自分のプライドにこだわって、嘘をついてしまう。
だから、「知的誠実性」が求められると私は思います。