雑学(18)知的誠実性(その2)

落語の小噺に「時そば」と「一目あがり」があります。
「時そば」では、主人公が蕎麦屋をだまし、
そばを安く得て食しようとするのですが、
結果的に逆に高くなってしまったという笑い噺です。
つまり、最初から相手をだまして食しようとして
結果的に損をしたという噺です。
これは、いけないよ!という教訓です。

「一目(ひとめ)あがり」は主人公が正月新年の挨拶に
色々な人の所に行く。
自分では、粋な話をしようとして出かけていくが
ことごとく、一つ上を諭されるという噺です。
これは、相手をだまそうとするのでなく、
相手を誉めようとして起こる噺。
主人公としては相手に良いことを言ったつもりが、
逆にその都度、否定され諭される。
そして、その時、自分としては間違いを認め、
次の相手の所に挨拶にいく。
次の所では訂正して対応するが、又、否定され諭される。
結果的に、三→四→五→六→七→八→九 と
一目づつ上がっていく。
本人が相手に自分の粋なところを見せようとするが
相手は自分より一枚も二枚も上だという事を知らされる。
人に安易に良く見せるなという教訓ですかね。

その中に、二つの掛け軸の絵と詩についてのやり取りがあります。

一つは、その掛け軸に、
雪景色の原っぱの中でたたずむ白鷺(シラサギ)と
木の枝に止まっている烏(カラス)が描かれています。
そこに次のような詩が書いてありました。

近江の鷺(サギ)は 見えがたく 
遠樹の烏(カラス)は 見易し

近くの雪の中にいる鷺は目立たないが、
遠くの烏はよく目立つ。
つまり、良いことはなかなか目立たないが、
悪いことはすぐ露見するという意味。

もう一つは、雪折れ笹の絵が描かれています。
そこに次のような詩が書いてありました。

しなはるる だけはこたえよ 雪の竹 

雪が積もって折れ曲がっている竹でも春になれば元の笹になる。
つまり、苦難があってもいつかは取れるものだから
今は我慢が肝心という意味。

それぞれ、今でも通じる教えですね。