雑学(23)言葉・地名の語源(その4)「仙台・博多」について
日本各地についている地名について、
私のわかる範囲で、これから述べていきたいと思います。
「日本人の忘れかけている素晴らしい文化について」の中の
「15 アイヌ語のについて」 の所で
東北・北海道地域に、別(ベツ)内(ナイ)という字がついた
地名が多いと述べました。
これは、アイヌ語からつけられていますが、その先には古代エジプト語に
起源があります。
ナイは大きな川があることを意味し、エジプトのナイル川の(ナイ)も
この語源からきています。
又、現在の福岡県福岡市博多のハカタという地名は、
2~3世紀頃から、朝鮮半島南部の当時の地域国と佐賀・福岡のこの地域の
豪族たちと、今でいう交流・貿易がありました。
その時、使用する船を泊めておくのに内海で、風も少なく、
船を停泊しておくのに非常に都合がよかった場所があった。
そこを、「ハクカタ」=泊潟と呼んでいました。
そこから、ハクカタ→ハカタ と呼び方が変化し 当て字になり
今の博多となりました。
宮城県仙台市の仙台は、
国分氏時代、青葉山に千躰仏があったという事で、
国分氏の城を青葉城と言った。
その後、伊達政宗が「この地が千代(ちよ)に栄える」ようにという所から
又、広瀬川の川間に開けた平地である所から、
センダイ(川内)→センダイ(千代)→仙台と名付けたそうです。
又、東京の場合は
江戸時代まで天皇は京の都(今の京都)に住んでみえました。
明治維新の時、東西両京論から
江戸は、京の東にある。だから江戸を東京と言おう。
大坂は、京の西にある。だから大坂を西京と言おう。
そして、東日本における京のような大きな都市を目指そうという所から
東京と名付けられました。
今,私たちが知っている地名には色々な由来があり残っています。
それが、歴史を辿る一つの手段にもなります。
縄文時代、弥生時代にはまだ日本列島には文字がありませんでした。
しかし、言葉はあった。
それが基になって、地名に残っている場合が多くあるように思います。
今後も、地名・言語についての由来など述べていきたいと思います。