雑学(27)言葉・地名の語源(その8)種子島について

ここでは、日本語の中の種子島の由来について
私のわかる範囲で、これから述べていきたいと思います。

川崎真治さんの
「古代稲作地名の起源」から
引用させて頂きます。

紀元前4千年頃、ウル人は神をアンと言っていました。
シュメール人もそれを借用してアンと言っていました。
①古代エジプト語では、kham・na・(r)an (カム・ナ・アン)
②エジプト人は、カブ・ナ・アン
③ルソン島山岳州語では、khab・ni・an(カブ・ニ・アン)
④印度セイロン島語では、カミ
⑤アイヌ語では、カムイ
⑥種子島古語では、ga・ran(ガーラン)
⑦現在 日本ではカミ(神)
このように比較してみると、関係性があるように思います。
古代エジプト文字にヒエログリフという古代文字がありました。
これは、紀元前3200~紀元400年にかけて使われていました。
しかし、ウル語はさらに800年ぐらい古い為、古代エジプト語には
アンという言葉が入っているのです。

ウル語で牛をウルと言いました。
よって、ウル人とは牛人となり、
ウル人は牛をトーテムにしていました。
同様に、シュメール人は、蛇をトーテムにしていました。
このようにトーテムがそのまま種族の名になっていきました。
シュメール語の牛はgud(グド)でした。
グドが グ、又 ゴ と変化して、印度からさらに東進して中国に入り
グ、ギュウ、又 ゴ などという中国音の牛になりました。

沖縄地方では、よく宝貝、子安貝が良く取れました。
しかし、これが中国では非常に価値のあるもので、
中国の殷代から周代にかけて、古代の貨幣は貝でした。
財、貨、買などに貝という字が入っているのは、その為です。
その貝を通じて、種子島には蛇をトーテムとする民族が移り住んでいました。
蛇を信仰する民族を、タンナーガ族と言いました。
タンナーガ → タンネ → タネ
そこからタネガ島と呼ばれるようになりました。
元の呼び名・漢字は、多禰(タネ) 又は 多褹(タネ) ですが
これではむつかしい為、種子(タネ)とし種子島となりました。
島の形が種に似ているからではありません。
種子島の茎永部落に宝満神社があります。
ここには、玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)が祀られています。
ここにも、色々な伝説がありますが、それらを含めて
色々な意味が含まれているのです。
種子島には、古い人々が南の島々から北上してきたからではないでしょうか?

タは、人間という意味です。
ナーガ、あるいはナーカは古代インド語で(蛇)(竜蛇)を意味しています。
と同時に、蛇や竜をトーテムとする印度ナーガ族の部族名でもある。
その古代印度語は、元はウル人・シュメール人のウル・シュメール語からきていて、
シュメール人も蛇をトーテムにしていた。
よって、タ・ナカとは印度系シュメール人という意味になる。
手は、シュメール語で(シュ)、アッシリア語は(タ)、古代エジプト語は(ド)と言います。
日本では、タは、手をあてています。
手長比売(タナカヒメ)、天手長比売(アメタナカヒメ)、
天手長男神社(アメタナカオ)などです。
ナカ、ナーガは、
那賀、名賀、中、仲 という漢字をあてています。
長、永という漢字をあてることもあります。

長崎の「おくんち」という祭りには竜蛇の舞があります。
ナーガ(竜蛇)をトーテムとするシュメール人が住む町という意味から
長崎という地名になりました。

シュメール人は、古代エジプトを(azi)(アジ)=煙と読んでいた。
ウル人は(hazi)(ハジ)、英語になってegy(エジ)になりました。
ウル語で町をマドウ それが変化して、プトウ となり、
煙の町 すなわち、エジプトになりました。
マドウ → マトウ → マテイ(古代インド) → マチ(日本語)
これは、私の推測ですが古代エジプトでは、死者をミイラ化する為に
煙を炊いていた。その為、この地域から異様なにおいの煙が漂ってきたから
そのように言ったのではないだろうか?