雑学(7)「お陰様」について

私たちは、いつも 別れる時
「じゃーさようなら」などと、よく言って別れるかと思います。
この「さようなら」には本当はまだ続きの言葉があり、
それが隠されています。
本当は、「さようなら」の後に「ば」があるのです。

この「さようならば」は接続詞で、例えば
「今日は色々話したね。
 さようならば、明日もまた会って話そうね!」
とか、
「今日は楽しかったね。
 さようならば、又 今度、会ったら一緒に遊ぼうね!」
等の意味を含ませ、短縮し「さようなら」になっています。

又、電話で最初の言葉として、「もしもし」と言うと思います。
これも、電話が最初登場した時の電話交換手の人が、
「申し上げます。申し上げます。」が「もしもし」になりました。
それと同じような具合です。

私たちは、いつも 
「お元気ですか?」
「はい、おかげさまで!」という会話をすると思います。
この「おかげさまで」は、
本当は「お蔭様のお陰で!」が、「お蔭様で」となりました。
では、「お蔭様」とは誰か?

私たち一人一人には、守護神・守護霊が生まれた時から
宿っています。
守護神・守護霊は、自分だけを守っている主となる神様です。
目には見えません。
そして、その守護神・守護霊を守っている神様がいます。
それも目には見えません。
それは、人とは限らず、森羅万象、私たちの身の回りにある
すべてにあります。木や石や水などすべてです。
それが、陰の神様です。
自分の守護神・守護霊が陰の神様に守られて、
今、現在の自分が存在し、生きている。
それを、
「お陰の神様に守られて、助けられて、自分はこうして生きている」
それを、短縮して「おかげさまで」と言っているのです。

人は、自分ひとりでは生きられません。
「オギャー」と生まれてから、父・母・兄弟・祖父母はもとより
色々な人の助けを受けて育ってきています。
又、森羅万象、色々な物にも助けられて、今生きているのです。
奇跡の中で今、自分が生きている。
それを「お陰様で!」という短い言葉で言っているのです。
当然、自分の守護神・守護霊が、ほかの人のお陰の神様なることは
あります。