雑学(22)言葉・地名の語源(その3)「高田馬場」について

「高田馬場」地名の由来について
川崎真治さんの
「日本語の謎を解く」「日本語の起源を探る」から
引用させて頂きます。

今の東京都の皇居から見た場合
北を12時とした場合
戍亥の角(いぬいのすみ)は、西北角(かど)になる。
早稲田大学の校歌の中にある「都の西北 ・・・」
高田馬場辺りになります。
牛虎の角(うしとらのすみ)は、東北の角(かど)になり、
葛飾辺りになります。
では、高田馬場の由来は、どこから来たのか?
人によってですが、「たかたのばば」と言う人もいます。
違いは、
「takada no baba」か
「takata no baba」で
「da」と「ta」の違い。
da→ta:濁音から清音化した。
これがことばの転訛なのです。
地方によっては「馬場」と書いて、
「ばんば」と読む地名もあります。
これは、古代からの言葉の流れから少しづつ、転訛して
地域から地域に人が移動していくときに起こる現象です。

日本語の父を
古代のシュメール語では、アバ:aba
古代インド語では、ピトリ:pitri 、タタ:tata、アヤー:ayah
インド語・マレーシア語では、アヤー:ayah
マレー・インドネシア語では、バパ:bapa
台湾の基本語はアマ:ama

又 日本語の母は
古代のシュメール語では、アンマ:amma
古代アッシリア語では、ウム:ummu
マレー・インドネシア語では、イブ:ibu
台湾の基本語では、イナ:ina

「日本人の忘れかけている素晴らしい文化」の中の
「11:ホモ・サピエンスの歴史」の項目の中の
11・5 言葉の使用
11・8 文字の発明
で、述べているように、最初は言葉が生まれました。
それから、文字が発明されていきました。
それは、ウル語、それからシュメール語から生まれました。
それから、古代エジプト、古代インドに普及していきました。
文字も最初、ウル・シュメール文字が生まれ
古代エジプト・古代インドへと伝わっていきました。

いきなり、ウル・シュメール語が日本列島に入ってきたのでなく、
陸づたい、又、海づたいにて順次伝わり入ってきたのです。
沖縄地方では、父・母の呼び方も島によって色々な呼び方をしています。
それから、九州を経て、順次 日本列島に伝わっていきました。

よって、日本列島には、縄文時代は、樺太・北海道方面から
弥生時代には、九州方面から伝わっていきました。
最初は言葉で、文字は定かでないが、4世紀~5世紀頃に
中国から入ってきたと思われます。
なので、色々な呼び方を後から漢字に当てはめていった形です。
その時、中国から入ってきた漢字を読むためにカタカナをふって
読みやすくしました。
現在ある、仏教のお経にカタカナのふりがながあるような感じです。
それから、日本独特のひらがなが出来てきました。
だから、文字ができるまで(たいまつ)と呼んでいた物を
「松明」という漢字にあてて、(たいまつ)としたと思われます。
しかし、現代読みでも、これは(たいまつ)とは読みにくいですね。
(まつあかり)か、(しょうみょう)でしょうか。

よって、「高田馬場」は「父の父」、
つまり、だれのおじいさんかは、わかりませんが
「おじいさんが住んでいた場所」という所でしょうか?
英語でいえば、「grandfather」になります。
これも、ウル・シュメール語の言葉癖でしょう。