雑学(28)言葉・地名の語源(その9)赤飯・餅について

ここでは、日本語の中の赤飯・餅の由来について
私のわかる範囲で、述べていきたいと思います。

川崎真治さんの
「古代稲作地名の起源」から
引用させて頂きます。

手=テ、足=アシ、目=メは、古代エジプト語が起源です。
しかし、古代エジプト人は、文化の進んでいた
ウル人・シュメール人の言語を、さかんに取り入れました。

江戸時代、九州全島で赤米が作られていました。
しかし、ドーナッツ現象によって、全島ではなくなり
対馬・種子島に残った。
それが、長粒稲、インデイカ種の赤米でした。
初めは小豆で赤く染めなくても米自体が赤いのがありました。
何か儀式で人が集まる時とか、不幸な時とかにも炊いて食べていました。
赤米、小豆で炊いた赤飯は、大事な儀式でという古代日本人の
信仰と何か深い関りがあるように思います。
今でも赤飯はめでたい時に頂く習慣はあります。

舎利(シャリ)は、古代エジプト語で「水の中の植物」のことで
つまり、稲の意味になります。
稲は、古代エジプト語でsar(シャー)「水の中の草」
古代印度語では、ヴァリシャセと言っていました。

ウル・シュメール語で穀物やそれらを実らす草の事を(ウ)と言っていました。
ウ・ニンダ・シェ・ギシュ・ヒエ
この意味は、穀物をかまどに入れて焼いたもの。
つまり、パンのこと。
英語のライスの語源は、アラビア語のウルズ・ルズ、古代印度語のヴリシュからきている。
日本語では、ウル・シネからうるち米となりました。
うるち米は、粘りけが少ない為、粘りけの多い米として
改良し、もち米が出来ました。
餅は正月とか祝い事の時に神仏等に供えてからみんなで頂きます。

神棚などに供える鏡餅は、例外なく丸い形をしています。
餅は、古代印度語で(パテイ)と言っていました。
それが、東へ東へ伝わっていくうちに、マテイ→モテ→モチとなっていきました。
この餅の漢字も、食偏と、一緒にという意味を持つ併(ヘイ)の
旁(ツクリ)でできている。
この旁は、鳥居⛩の上に点が二つ付いています。
これは、やはり神社に供える食物という意味があるように思います。
古代エジプトでは、神へ供える丸い餅の事を
「ツ・ブラ・タ」と言いました。
ツ=古代エジプトの太陽神
ブラ=ウル・シュメール語起源の梟神(マサ)
タ=古代エジプト語で穀物から作った餅の事
よって「太陽神・梟神に供える丸い餅」
日本語で、丸い瞳をつぶらな瞳と言うが、まさにここからきています。
我々日本人の祖先は、ツブラをもって(丸)とか(円)に
あてたのでしょう。
その餅を神にお供えするとしてもちいる場合、漢字の(用いる)を
あてたのでしょう。
日本には、今でも尺貫法が残っています。
長さでは、寸、尺、里などがあり、重さでは、貫、石
面積では、歩、坪 体積では、合、升などがあります。
今では、メートル法が世界共通の単位になっていますが、
今でも、日本の中では これらの単位は活きています。
畳 1畳とか、お酒 1升、お米 2合などです。
米一粒は一寸、これが基本です。
私の実家は農家で、稲・玉ねぎなどを生産していました。
私の小さい頃、母親からご飯を食べ終わる時、お茶碗に米粒が
一つでも残っていると
「ご飯粒を残すと目がつぶれるから残してはだめ!」と
酷く叱られたものでした。
言葉と物とは、不即不離の関係であり、民族の歴史をも反映する
鏡のように思います。
しかし、文化・科学の発達した今日では、「米は、穀物・神である」という
概念が、極端に薄らいでいるように感じます。

又、日本の基礎語として、たくさん古代エジプト語が入っていることは
それらと一緒に渡来してきた人たちがいたという事ではないでしょうか?