6. 過去の解釈について

一般的に数学では

       になります。

私の少し違った表現を述べます。

過去があり、現在がある。
現在があり、今をどう生きるか?どう考え動くか?で、
未来が決まってきます。
現在=今を、どう考え行動するかで未来が決まってきます。

又、この際には時の運、時代の流れ、巡りあわせが非常に大きく影響します。
しかし、過去は過ぎてしまった事で変更できません。
過去は変えれないのです。
「後悔、先に立たず」です。

この「現在、過去、未来」を、私流の数式にすると以下のようになります。

これは、私独自の考え方方式です。

又 一般的には、   
  温故知新 → 「古きを訪ねて 新しきを知る」という意味ですが、
私は 以下のように 考えています。
  温故知意知新→「古きを訪ねて、その意味を知って 新しきを知る」

ようは、歴史の結果だけを知って判断しないで、そこの裏にはどのような
背景があるのかなども 考え、調べ、そして、新しい判断に生かして
いきたいということです。
日本の歴史は、奈良・平安時代は天皇中心で、どこに住んでいたかで
時代分け されています。
室町・鎌倉時代から変化してきて、その時の武士が主となり
江戸時代は、徳川幕府が主で、天皇は京都で生活をしていて、
徳川幕府とは、まったく無関係に近くなった。
しかし、大政奉還により、再び 天皇が主となり、一人天皇による
時代になった。
明治天皇は明治時代、大正天皇は大正時代というように。
しかし、奈良時代以前の事は、今でもはっきりわかりません。
それで、よく過去の事をおとぎ話を始める時、「むかしむかし」という
言葉で始まることが 多いです。
これは、「むかし」=「無可視」からきているかと思います。
「遠い時代の事は見ることができない」という意味です。

古い時代(縄文以前・縄文・弥生・奈良時代)については、
日本には 確かな歴史書はありません。
古事記・日本書紀(以下記紀と表す)などがありますが、内容的には
非常に曖昧です。
又、東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)(以下三郡誌と表す)
・竹内文書も 同じように不確かではありますが同じような歴史部分の
記述があります。

数学問題で答えを導きだす場合、
  これは必要条件、かつ これは十分条件である。
  よって、この答えは、必要・十分条件を満たす為、
  これが正解である 
という考え方があります。
しかし、歴史では必要条件などは揃えれますが、十分条件までとなると
そうはいかない。

例えば、今から約450年前の織田信長・明智光秀の「本能寺の変」が
何故起こったのか?
又、「本能寺の変」の後の明智光秀はどうなったのか?
私たちは、その後 討たれて死んだと教えられていますが、
本当に死んだのか?
死んだのではなく、歴史上出てこなくなっただけで、
実は生き延びていたのではないか?

しかし、本当の所はわからない。
まして、今から約2700~1300年前の歴史が正しく分かるはずがない。
よって、必要条件に基づいて述べていきます。
又、色々な問題解決する場合、仮説を立て、それを色々な条件の下、
実験・実証を 行って行くものです。
その仮説は、間違っている場合もあります。
いや、間違っている場合の方が多いかも しれません。
しかし、私は、そういった思い・考え方でこの日本列島歴史・文化を
述べていきたいと思います。