14.7 こけし、ねぶた祭りの由来

荒吐族の信仰神は、アラハバキカムイ=アラハバキ神 と言いました。
荒吐族は、各家々でアラハバキ神をまつっていました。
本当は、石塔で祀る神霊であったが、この地方には、マタギという
狩猟採集を生計にする人がいて、どこの家でも祀ることができる
ようにと、マタギが木製の物(木彫り)を作った。
これを 紅化神=コウケシン といった。
そのコウケシンからコケシに変化した。  
これが、こけしの由来である。
今でも、東北地方(青森、秋田、岩手、山形、福島)には、
こけしというお土産物が残っています。

又、青森=ねぶた祭りもこの地方の祭りで、 その由来は、次のようである。
810年頃 坂上田村麻呂が征夷大将軍として、蝦夷討伐に来ていたが、
結果的には、討伐出来なかった。
その際、坂上田村麻呂はここの民衆たちに 稲作、養蚕、織部、工築、鉄師等の
技術者を派遣し、それによって、 生活が豊かになり非常に栄えていった。
その当時の荒吐王も非常に喜んだ。
しかし、820年頃、坂上田村麻呂がなくなり、又 前の荒吐王もなくなると、
新朝廷と争うことが頻繁になった。
すると、東日流一帯 凶作続き、餓死者が多数でて、疫病が発生し
さらに多数の死者が出た。
それで、民衆たちは、これは、前の荒吐王、坂上田村麻呂の呪い、荒吐神の呪い
と思った。
この悠霊を鎮むべき精霊流しとして行った行事が、ねぷた祭り、かんとう祭り、
むしおくり祭りである。
ねぷた祭りとは、燃火舵(ネビタ)祭りと称し、川面に壮大に燃え流るる船が
水面に 映る様を現わし、夏に川に流す行事となった。