17. M、トケイヤーさんの(ユダヤと日本「謎の古代史」)類似点

M、トケイヤーさんの (ユダヤと日本「謎の古代史」)を元に
述べさせていただきます。
私たちは、絹の道=シルクロードとよく聞いていますが、
本当はシルクローズ(複数系)であるということ。
この道は、中近東・古代オリエントを起点に、西へ向かう道、
北へ向かう道、南へ向かう道 、海上の道など、いくつもあるという
複数系ということです。

1870年頃、スコットランド人のマックレオドという人が
鎖国開国間もない日本を視察に来て彼が見たこと、感じたことを
「日本古代史の縮図」という本で1875年に出版されました。

彼は、ユダヤ人でもなく、キリスト教徒でもなく、学者でもなく、
一般の商人でした。
又、彼はその当時の日本を非常に詳細に旅していました。
又、中国、朝鮮などへも自分の足で見て歩いていました。
この当時の東京・京都・大阪・福岡はもとより、東北、北海道などの
全国各地へも回っていました。
この日本の文化・行動様式は、その当時の中国、朝鮮の文化とは全く
異質のものと彼の目には写りました。
その上で、日本人たちが持っている独特な文化・特徴ある行動様式について、
古代ユダヤの文化・行動様式と照らし合わせた場合、非常に多くの類似点が
あることを 述べています。
彼の述べた事実が、客観的な立場によって述べられていることは、以上からも
分ってもらえるかと思います。
この報告について、当時のユダヤ人学者たちは、マックレオドの述べている
日本人=ユダヤ人説を否定できなかったそうです。
そこで、学者たちが考えたことは、遠い昔に失われたユダヤ人たちがこの島国に
住みついてしまったとうい可能性もあるということでした。
江戸幕府によって約250年もの鎖国の後で日本が開国してまだ数年しかたって
いないという事実。
もちろん、日本人たちとユダヤ民族が特別友好関係であったわけでもありません。
今の時代と違い、今から150年前では、まだ電気・電話などあるわけがありません。
この本の中で、マックレオドは、どうして日本人だけが、その他の東洋民族とは、
全く異なった文化や 行動様式が起こったのか、説明つかなかったそうです。
ただし、約2500年前にユダヤの十種族が、東方世界に追放されたという
旧約聖書の記述からも、もし、これらの古代ユダヤ人が日本に住みついたとすれば、
それがよく理解できると述べている。
その頃の西欧人は、日本人の事を全く知らなかったので、マックレオドはそれを
すべて報告したい一心で書きました。

これから、マックレオドに指摘された類似点を上げていきたいと思います。
①神社の構造
 拝殿と奥殿に分かれている。
 拝殿は、一般信者が入る所で、 奥殿は、特別な人や、神に接する人が入る所
②神社の神官が白い下袴をはいている所
③その年に取れた初めての収穫した物を神社に供える所
 日本では、一般的に収穫祭=新嘗祭と言っている儀式
④神社の神官がお祓いをする所
 木の枝でお祓いをする習慣は、古代ユダヤの僧侶が ヒソップと呼ぶ木で
 清めの儀式を行ったという。     
 日本では、榊という。神の木という作りになっています。
⑤灯心という儀式
 灯心にともした光は、消さないで神社の中で保たれていた。
 古代ユダヤの神殿にも「永遠の灯」と呼ばれるものがあって
 その光は決して 消されることはなかった。
⑥古い楽器である琴の形と古代ユダヤの人たちが用いた楽器とよく似ていた。
⑦神様にお賽銭を捧げる習慣
⑧京都の祇園祭の風習が、ユダヤの祭礼「スコット」とよく似ている。
⑨神社の水屋と言って、手・口などを清める場所がある。
 ユダヤ教会堂の入り口には、手と口を洗う場所がある。
⑩日本の侍の衣装が中近東における古代王子たちの服装とよく似ている。
 中近東地方、特にアッシリア地方の古代ユダヤ民族に似ていた。
⑪山伏は、山岳信仰者であるが、山の頂きを聖なる場所とするユダヤ教の
 考え方は、最も古いユダヤ教の教えでもある。
 古代ユダヤ人たちは、山を非常に宗教的な意味を持って、崇拝していた。  
 稲作の項目でも、別の角度から日本人の山に対する信仰について述べますが、
 非常によく似ている。
 又、この山伏の兜巾(トキン)は、古代ユダヤの習慣にあるヒラクテイーと
 大変よく似ている。
 そして、シルクローズのどこの地域をみても、このような習慣は、
 認められなかった。
 一般的にこのような文化的習慣は、一つの地域から他の地域へと徐々に
 浸透して 伝わるものです。  
 途中でなくなることがあってもすべてなくなるわけではない。
 例えば、仏教などの伝来でも、インドからセイロンへ、それからインドシナ、
 チベット、中国、そして、日本へと伝わっている。
 しかし、この兜巾とヒラクテイーについては、シルクローズの
 西の端と 東の端の日本にしか存在しない。これは、不思議なことである。
 誰かが直接持ってきたとしか考えられない事です。
⑬伊勢の皇大神宮には菊の御紋がある。
 これは、3000年以上にさかのぼった古代ユダヤにおいても、古い神殿や宗教の
 中心には、菊の紋様をシンボルとして使用していた。
⑭日本では汚れを清める時に塩を使います。
 大相撲の取り組みの前にお互い塩をまいて土俵を清めます。
 又、お葬式のいった後で汚れを除く為に自分の体に塩をかける風習も一般的に
 あります。
 古代ユダヤの神殿にユダヤ人たちが何か神への贈り物を捧げる時は、
 必ず、塩を添えるのが規則でした。
 又、動物を捧げる場合は、必ず塩漬けにして出した。 又、旧約聖書の中に
 「塩の契約」という項目があり、そこには塩が汚れを 清める為の物として
 決められている。
 このように、様々な場面で塩を用いる風習が、日本社会でもユダヤ文化の
 中でも 行われていることは、中々興味深いことであった。
⑮日本人は、公衆浴場に入る前に必ず体に湯をかけてから湯船に入ります。
 ユダヤ人たちも同様な作法をやって、入ります。
 入浴は、ただ単に身体を洗うということだけでなく、身を清めるという
 精神的な意味があることを知らず知らずのうちに行っている風習なのです。
⑯日本のお守りのようなものが、古代ユダヤにもあります。
 ユダヤでは、メズサ=護符というものである。 ゆだやの民衆には、
 この魔術のような守り札を信じる迷信的な傾向は 日本人のお守りに
 通じる所がある。

以上に上げた以外にも類似点はあったようでしたが、マックレオドが
述べたかったことは、この日本を訪れる外国人は、すべて、この孤絶した
国の風習について驚くかもしれないが、ユダヤ人だけは、全く驚くことなく
理解でき、受け入れられるだろうということでした。
だから、その当時まで世界史として全く書かれていない何かが、
日本とユダヤの 間に存在するかもしれないというロマンチックな夢も
あったと思われます。
又、マックレオドが類似点で上げた事は、殆どが日本の神社にまつわること
ばかりです。
その当時 マックレオドが見た日本人は非常に素朴な人間であったと思います。
まして、約2500年前の人たちは、多少乱暴なところはあったかもしれませんが、
さらに素朴な人間だったと思います。
こういったことも日本列島には残っている、あるということです。