18.3 鳥居としめ縄の由来

古代エジプト王朝は、ウル王朝より新しい王朝でした。
エジプトでも中国でも、造字原理は共通でした。 ウル人・ウル族のウルとは、
牛の事を言っています。 つまり、ウル人・ウル族は牛を信仰する人・民族
という事です。

梟神をマサといいます。
これは、ウル語で プーフリといいます。
プー:笛かほら貝を吹き鳴らす者
フ :鳥 この場合は梟(フクロウ)をいいます。
リ :集まれ、集合、集会 という意味です。
言語学、古代信仰、考古学から、この意味は「2羽(フクロウとハヤブサ)で
集まれ」と言っています。
これは、日本神社に古くからある、鳥居(とりい)=(鳥がいる)の意味で、
この鳥居の上には、2羽 鳥が止まっている。
さあ みんな集まれと言っているのです。

神社にしめ縄をするのは、ウル人がヘビも信仰の対象にしていたからです。
又、ウル人は、塩も信仰で非常に大切に扱いました。
それが、日本で昔から神社の中に大切に残って受け継がれているのです。
つまり、ウル人を祖先に持つ民族・文化が、この日本列島にも移り住んで
きたという事です。

よく「お先棒担ぎ」といいますが、それはこの儀式の4本の棒からきています。
ユダヤ人は、エジプトとはどんな関係かというと次のような背景があるからです。
約3,500年前 古代エジプトから東の土地にユダヤの地を求めて脱出した。
その当時は、ユダヤという言葉もないし人種もいませんでした。
ただ、奴隷として生きるのではなく新しい土地を求めて、
モーゼたちが数千人の奴隷を 引き連れて、
東の土地(後にユダヤと言われる土地)に移動していった。
モーゼのエジプト脱出です。
その時に、古代エジプトの文化(文字・言葉・信仰)も一緒に持ち込んだ。
それから、ウル人・シュメール人の文化と古代エジプト文化が合わさって、
日本の 縄文時代・文化、弥生時代・文化に伝わってきたと思います。

この当時のこの辺り(チグリス、ユーフラテス、ユダヤ)の地域の事を
古代オリエントの三日月地帯という。
ちなみに、神の日本の古い訓は、「ミワ」と呼んでいました。
三輪神社のミワ(三輪)です。
これは、長い蛇(三回ぐらいとぐろを巻いたヘビ)の事を言っています。
中近東から南周りで、インド、中国南部、沖縄、日本列島へ渡り住んできた部族が
ヘビを 神として、信仰する部族だったからです。
三輪山伝説のオホタ・タネコは大蛇の事になります。
九州・長崎などで、龍のとぐろまく祭りがありますが、それも これと一緒です。
ようは、大蛇信仰の名残りなのです。