19.1 発生の背景

古事記については、色々な先生方が色々本を書いてみえます。
それを参考にしながら、以下の解釈で述べさせていただきます。
① 一般的な解釈
② 言霊学からの解釈
③ 私の解釈
途中 同じような個所については省いていきます。

古事記は、最初 元明天皇の命によって、太朝臣万呂(オオノアソミヤスマロ)
という人が 711年9月に取りかかり、712年正月に完成した、
日本最古の書物と言われています。
その際、天武天皇の口伝を暗唱していた稗田阿礼(ヒダノアレイ)と一緒になり
完成した事に なっています。
しかし、これほど膨大な内容をこの時代にこの短期間で完成させることは
不可能と思います。

日本書紀は、720年に完成したことになっていますが、
実は681年に天武天皇が 臣下や皇子たちを集めて号令かけ、
紆余曲折をへて720年に完成した書物です。
それから考えても、又 色々な資料から、古事記はおそらく7世紀中頃
~後半には できていたと思われます。
というのは、この時代は、朝廷が大きく揺らいでいる時代で、
古事記も日本書紀も 残った新しい体制の立場で書かれています。
この辺りの歴史については、私の述べている縄文時代から 弥生時代の項目を
読んで頂きたいです。
又、前にも述べたように、本当は古事記を書く以前に 新しい体制に替わる
体制での書物で、帝記と旧辞という書物があったが、焚書坑儒によって、
その書物は一切なくなり、又 古事記、日本書紀にはその内容が
一切反映されていないように思われます。
その帝紀や旧辞(数冊分)は、おそらく新体制には不都合なことが
書いてあり、又、古事記にはそれが 分からないように書いている書物だと
思われるからです。
特に 他国に、中国等にわからないように、隠語を使いながら古くからある
古代日本の底辺にある事を。
要は、そこで古代日本の歴史を改竄しているからなのです。

又、日本書記は、中国(唐)を意識して対外的に日本を良く
見せる為に、そこでも改竄されて いるのです。
よって、古事記には色々不具合ありますが、その当時の人たちは
非常に素朴で、その当時としては できる限りの知恵を絞って、
言葉と心を後世に伝えようとして書かれた書物なのです。
又、太朝臣万呂と稗田阿礼だけで書いたのではなく、
その当時の大臣級が数人加わって書いたものだと 思います。
なぜなら、この時代で文字を書ける人間は、朝廷等に関わる人だと
思うからです。
まだ、この時代は、今のように誰でも文字が読み書きできる時代では
ありませんでしたから。