19.4 私の黄泉がえりの解釈

今まで色々な先生方の内容、又 言語学(ゲンゴガク)を研究してきて
私が気ずいた事をこれから述べていきます。
上巻の所で、古代より色々な島ができ、言葉ができ、言葉から島・国が
出来てきました。
天の岩屋戸のお隠れの解釈について、諸先生方、色々述べられていますが
私は以下のように解釈したいと思います。
山腰明将先生の言霊の解釈の発展形になります。
この天の岩屋戸にお隠れになったのは天照大御神様ですが、
今回そこの所は省略いたします。

古事記の中には、高天原という文字がよく出てきますが、
この場所はどこか?
私は、この場所は人間の頭の中、つまり頭=脳(大脳・小脳など)の事
だと思います。
先に述べたように、言葉には一音一音 意味があり魂があり、
それが言葉になり文字にもなります。
これは私たち人間の頭の中、つまり脳の中の事を言っているのでは
ないでしょうか?
暗い世界、闇の世界を黄泉(よみ)の国と言っています。
暗い世界から明るい世界になることを、言霊学(ゲンレイガク)では
「黄泉(ヨミ)がえる」と言います。
死の境地から辛くも生き返ったりした時などに、私たちは、
「あー生き返った、よみがえった」 などと言ったりします。
その黄泉がえりです。
分かりやすく言うと以下のようです。

言霊の実態=人間の頭の中(脳)にある=黄泉の国
言霊の起こり=言葉・文字・行動よって現れ具体化される事=黄泉がえり

この黄泉がえりにも、4段階 あります。
(1)第一の黄泉がえり
  私たちがオギャーと生まれた時から始まります。
  特にこの場合は、特に母親になりますが、母親から母乳や食べ物を
  いただきます。
  そのやり取りの中で、母親の発する言葉を音として覚えて、自分の頭の
  中に蓄え片言ですが自分の意志で言葉や行動も含め発するようになります。
(2)第二の黄泉がえり
  次に母親、父親 そして周りの人から、一音一音聞いて、それが何を
  言っているのかを覚え始めます。それを覚えて 自分の中で考え今度は
  言葉として、又 行動として発します。
(3)第三の黄泉がえり
  次に今までの自分の頭に蓄積してきた知識で、自分の周りで起こる
  森羅万象を 自分の目で見、耳で聞き、肌で感じ、手で触り、
  足で探るなどして、この場合は どんな言葉になるのかを
  選択して、発します。
  名=な 菜=な 又 木=き 気=き などのように同じ音でも
  その状況によって 使い分けをするようになる。
(4)第四の黄泉がえり
  次は 今自分の周りで起きている森羅万象のことを、
  再度、自分の目で見、耳で聞き、肌で感じ、手で触り、足で探るなどして、
  自分の頭の中に蓄積した知識を使って、自分の頭の中で考え、
  自分の言葉で発すると同時に文字として表す場合もあります。
  ただし、文字は表される字体の意味のみに限定される為、言葉のごとく
  広い意味ではなくなる為、それ自体は黄泉の国の範囲になります。
  それによって、当然、行動も伴ってきます。

これらが黄泉がえりの循環になるのです。

古事記の中の島・国は、人間の頭の中の脳の言葉などを蓄える部分を言っている。
「あ」の言葉の意味、又 「わ」の言葉の意味を理解する所を島・国と
言っているのです。
天の岩屋戸の前で、色々な人が踊りを踊ったり、歌を歌ったりしているのは
実は、お隠れになった人(例えば自分)が、目で見て、耳で聞いて時には
鼻で匂いを嗅いでいる状態の事を言っているのです。
そして、人の頭の中で考え、言葉を一音一音つなぎ合わせ
又、組み、そして、人が次の行動をどうとるか、言葉を言葉をどう発するか,
を言っているのです。
それを言葉の黄泉がえりと言っているのです。

古事記の中で、ひめ=比売をひめと読み、秘めともなる。 
女島 も ひめ と読み、霊目ともなる。
「とる」という言葉を発した場合、その状況によって、意味が違ってきます。
又、「かける」という言葉にも、状況によって色々な解釈になります。
つまり、この7世紀の時代に謎めいた言葉を使いながら、人間が生まれて成長する
中で、色々なことを、見て、聞いて、感じて、人間が成長する様を伝えようと
したのだと思います。

ここに、明治天皇が御製された短歌を一つ上げさせて頂きます。
「五十の神(いそのかみ) ふることぶみは 萬代も(よろづよも) 
 さかゆく國の 宝なりけり」
この中の「ふることぶみ」は古事記の事を言っています。
なかなか心にしみる歌ですね。