21. 表・裏について
森羅万象すべてに表・裏があります。
それを私が分かる範囲内で上げてみます。
例えば、大相撲をテレビで見ていると、必ず左側が東です。
又、外国ではほとんどの車は、右側通行ですが、日本では、車は左側通行です。
つまり、左側が表だからです。
沖縄が日本に返還される時、まず第一に行われたのは、車の右側通行から
左側通行への変更でした。
又、身体は 左は左に決まっているではないか?と言われると思いますが、
私も最初は、そう 思っていました。これも色々考え・悩みました。
そうだ!心臓は体の左にある。心臓から体全体に血液を出している。
だから、身体は左が表、右が裏でいいんだと。
何が言いたいか?
私たち民族は、昔から氏神様を信仰し尊んでいる民族で、
森羅万象の表と裏、陽と陰を重んじている民族なのです。
ほとんどの人が、お正月には氏神様・神社にお参りをし、
一年の健康・安全等をお祈りすると思います。
人生何事も表側を歩まんとする思いからです。
神社も基本的には南向きで造られ、社(やしろ)から見て左側が東に
なるように立っているはずです。
どうしても入り口が南向きでない場合、社だけは南側を
向くように造られいるのが 殆んどです。
「左」=「ひだり」=太陽が昇る方向=東
「右」=「みぎ」=太陽が沈む方向=西
私たちが家を建てる時も基本的に南向きになるように建てるかと思います。
最近起きている事件にもすべて表裏があり、目や耳に入ってくる事象=結果には
必ずそうなった原因があるはずです。
テレビドラマなどでも、やはり表と裏がある為、ストーリーとして 成り立つ
のですよね!
又、最近では国会議員等の事象でも我々に伝わってくることは、どこまでが
本当で どこまでが本当でないのか分からない状況です。
ここにも、表・裏があるようです。
しかし、少し違った物に寺の大仏様や、観音菩薩様などがあります。
この方たちは、目を半眼しか開いていない。
これは、私たちがこの方に対してお詣りしている時、この方たちは
拝んでいる私たちの表と裏を見ているのですよ!と言っているのです。
半眼で表側を見て、半眼(瞼の覆われた方)で裏側を見ているのです。
例えば、お寺や寺院の入り口辺りにある仁王像などは、 怖い顔して、
目を見開いて立ってみえます。
これは表だけしか見てないのです。
これは私の思いですが、この仁王像などが、この境内に入る前に私たちの
「我=が」を 取り除き、邪気を払い、これから神社に参れよ!と言って
いるのではないかと。
神聖な気持ちになって参れよ!と言っているのではないでしょうか。
私たちは、毎日、鏡に向かって、自分を見て、顔を洗ったり、髪を整えたり
しています。
この行為は、鏡に写っている自分=我は表の自分で、これは仮の姿で、
本当の姿は、自分の姿は、心は、自分の中にあるのだよ。
よいか?と言っているのではないでしょうか?
「かがみ」から「が=我」を取ると「かみ」になる。
つまり あなたは神が見えますか?
神の本当の語源とは違いますが、心眼=神眼で見よ!と言っているのでは
ないでしょうか?
だから、昔から鏡は神社でも大切な物になっているのだと思います。
三種の神器にも、鏡があります。
しかし、奈良興福寺の阿修羅像は、又 ちょっと変わっています。
三つの顔が、正面、左右に向いてついています。
優しい眼差しで今にもほほ笑むかのような目で見開いて見てみえます。
これは私の推測ですが、
阿修羅像は、その前に立った人に対して、過去、現在、未来を見ていると
言っているのではないでしょう!
この像は、南向きで立って見えますので、この場合 私たちから見て、
右の顔は過去を、正面の顔は現在=今を、左側の顔は未来を!
大正末から昭和初期にかけて活動された、童謡詩人に金子みすゞさんと
いう方が見えました。
この方は、森羅万象の表・裏を、目に見える部分と見えない部分を
自分の感覚で, 非常に優しく、又 非常に鋭く表現されています。
それは 約百年近く経過した今でも新鮮に私には聞こえてきます。
中でも、「大漁」、「星とたんぽぽ」、「積もった雪」などが
印象に残っています。
「星とタンポポ」は、
某テレビ局のあるメーカーのCMの中で取り上げられていますので、
ここでは、「大漁」を、ご案内します。
朝焼小焼だ 大漁だ
大羽鰯の大漁だ。
浜はまつりのようだけど、
海のなかでは
何万の鰯のとむらいするだろう。
このように表現は違うけれど、見る立場で表になったり、
裏になったりするという事をこの詩は今の私に問いかけていると思い、
ご案内いたしました。