14.8 私の弥生時代の考察
縄文時代から弥生時代の推移について、記紀と三郡誌で述べてきましたが、共通している部分とそうでない部分があります。共通している部分は、大和地方には、元々 豪族 ナガスネヒコが住んでいた。その豪族が、神武天皇(日向族)に敗れ […]
14.7 こけし、ねぶた祭りの由来
荒吐族の信仰神は、アラハバキカムイ=アラハバキ神 と言いました。荒吐族は、各家々でアラハバキ神をまつっていました。本当は、石塔で祀る神霊であったが、この地方には、マタギという狩猟採集を生計にする人がいて、どこの家でも祀る […]
14.6 大和朝廷 旧・新(三郡誌から見た弥生時代末期)
筑州の日向族が大和に君臨するようになり これが、大和朝廷になっていった。 蘇我蝦夷・入鹿一族は、645年 「乙巳の変」で殺害されたとあるが、実は 殺害されず、日本海側をつたって東北に生き逃れたのではないか?それから、大 […]
14.5 邪馬台国台頭・卑弥呼出現(三郡誌からみた弥生時代中期)
2世紀後半には、九州北部辺りに 吉備の豪族「邪馬台国」吉備から攻めてきた。筑紫国の原住民 猿田一族は、一端は邪馬台国に滅びる。邪馬台国は、昔は陽茂台(ヤンマオタイ)と称していた。邪馬台国には、女祈祷師 卑弥呼がいて、その […]
14.4 三郡誌から見た場合の弥生時代前半
BC670頃 筑紫には、北は猿田族、南は熊襲族がいた。今の宮崎県日向辺りに南方から渡ってきた部族がいた。この民族は、技術・文化が優れていた。麻や絹を使用したり、薬の活用、稲作技術も持っていた。これが弥生時代の始まりで、九 […]
14.2 古事記・日本書紀から見た場合
記紀作成のきっかけは、天武天皇が「諸家に伝わる「帝紀」及び「国記」はすでに多くの虚偽ある為、偽りを正し、真実を後世に伝えよ」という詔を出されて、舎人の稗田阿礼(にだのあれい)に勅語し暗誦させ、その後 元明天皇が 太安万侶 […]
14.1 弥生時代の始まり
縄文時代から弥生時代の説明に入る前に、少し私の考え方を 述べてから進めたいと思います。一般的に縄文時代と弥生時代については、下図のような表現されることが多いかと思います。 しかし古い時代(縄文・弥生・奈良時代)については […]